黒沢明の「夢」という映画を見ていると
「絵になる風景”を探すな」 「よく見るとどんな自然でも美しい」 「僕はその中で自分を意識しなくなる」 「自然は夢のように絵になってゆく」 「いや僕は自然をむさぼり食べ、待っている」 「すると、絵は出来上がって現れる」 「それを捉えておくのが難しい」 「太陽が・・・」 「絵を描けと僕を強迫する」 「こうはしていられない」
というゴッホのシーンがある。
-印象派の憂鬱な太陽-
ゴッホの跳ね橋を見ていて、思い出した。 本当に絵を描けと強迫する、写真を撮れと強迫する そんな光が降り注ぐ場所などあるのだろうかと思うこともあった。 プロヴァンスに来て印象派が集まった理由が少し分かった気がする。
しかし、憂鬱な光を感じてならない。